お世話になった先生への想い
二児の母をしています。
春は出会いや別れの季節。
長男クンがお世話になった幼稚園の先生が結婚退職するとのお知らせを聞きました。
「○○先生が結婚して幼稚園をやめちゃうんだって…。最後にお別れの挨拶しに行く?」と聞くと、
「そうなんだ…じゃあ、お手紙書いて持っていくね」と長男クン。
もしかしたら「いいや、別に。」と言うかな…と思っていたので、
ここは長男クンの意思を優先できるよう「どうする?」という聞き方で話を切り出しました。
(ホントに「いいや、別に。」と答えが返ってきたら、そのまま話だけで終わらせるつもりでした。お世話になったのは長男クンだし。)
自ら用意した紙に「いろんなことを教えてもらってありがとうございました」とお礼のお手紙を書いていました。
発表会の演奏指導が厳しかったり(その分本番はとっても素晴らしい演奏でした)、
怒るときは怖かった○○先生。
「○○先生、こわい…」と言っていた長男クン。
でも、私が思っていた以上に、長男クンには○○先生に感謝の気持ちがあるのかな…と思う一面でした。
10人ほどのお友達と時間を合わせ、花束を持っていくことに。
「△日の12時に集合」。
時間を考えると、長男クンが帰宅後すぐに待ち合わせ場所に向かわないと間に合わない…。
長男クンの様子がおかしい
当日。長男クン帰宅。
長男クン、なんだか元気がない。
あれ?機嫌が悪い?
今日のお楽しみ会で披露したトランプマジックが失敗したのかな?
友達とケンカしたのかな…?
しかし、「時間がない」ということで 私の頭の中はいっぱい。
とりあえず待ち合わせ場所に向かおう…
やっぱり様子がおかしい
久しぶりに会う○○先生。
ちゃんとお手紙を手渡しできました。
待ち合わせ場所には懐かしいお友達がいっぱい。
「【長男】クン、ひさしぶりー!!遊ぼうよ!!」と誘われても
「…いいや。」とベンチに座る長男クン。
やっぱり様子がおかしい。
「どうしたの?」と聞いても、「…」。
それでも、懐かしい友達と一緒に大きな花束を渡し、先生と記念撮影。
ママ友も「大丈夫?なんか顔色悪いよね…」と心配してくれました。
「もう帰りたい」。
長男クン自身からそう言い出したので、これはただ事じゃないな…と感じ、
先生や懐かしいお友達に別れを言ってすぐに帰ることにしました。
帰宅
39.2℃。
ごめん…熱あったんだね…。
このとき、イシゲスズコ (id:suminotiger)さんの、あるブログの記事を思い出しました。
「まさにあれだ…私はなんてことをしちゃったんだろう…」
さーっと 血の気が引くのがわかりました。
いつの間にか「主語」がすり替わる_本当は誰のため?
ごめんね、長男クン。
長男クンは、
あの時の時間ギリギリで焦っていた親=私 の勢いに圧倒され、遠慮し、言い出せなかったのかもしれない。
もしかしたら、体調が相当悪すぎで何もしゃべれなかったのかもしれない。
「○○先生とはこれで最後だから、会いに行かなくちゃ…」
「友達もくるし、写真撮りたいな…」
…それは誰のため?
長男クン?それとも私?
よく考えたら、
主語は「長男クン」ではなく、
「私が」になっていたと気づきました。
「○○先生とはこれで最後だから、『私が』会いに行かなくちゃ…」
「友達もくるし、『私が』写真撮りたいな…」
「○○先生との最後の時間を過ごしたい」
という 親=(私)の理想をかなえるため、子どもを振り回してしまった。
体調悪いのに、自転車で待ち合わせ場所までついてきてくれてありがとう。
そしてごめんね。
子どもの立場になって考える
小さなこどもにとって、
たくさんの思い出ができるよう 導くのは親の役目だけど、それを押し付けてはいけない。
まずはこどもの立場になって考える。
これは最も初歩的だけど、忘れてはならないとても大切なことだな、と改めて感じた春の出来事でした。
イシゲスズコ (id:suminotiger) さんのこの記事はこちらです ↓。
親の理想に振り回されて 目次
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